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大阪地方裁判所 昭和34年(ヨ)1258号 判決

申請人 市川司郎 外二名

被申請人 大日本紡績株式会社

主文

被申請人会社は、申請人楠正人を被申請人会社の従業員として取扱い、かつ、昭和三四年三月二六日より毎月二八日限り金一五、五二〇円の金員を支払え。

その余の本件申請は、いずれもこれを却下する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を申請人市川司郎、同世古孜の、その一を被申請人会社の各負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者の求める裁判

(1)  申請人等の求める裁判

「被申請人会社は、申請人等を被申請人会社の従業員として取扱い、かつ昭和三四年三月二六日より毎月二八日限り別紙記載の金員をそれぞれ支払え。」

との判決。

(2)  被申請人の求める裁判

「本件申請は、いずれも却下する。

訴訟費用は、申請人等の負担とする。」

との判決。

第二、申請人等の事実上の主張

一、当事者関係

被申請人会社(以下会社と略称する。)は、綿糸毛糸並びに綿毛織物の製造販売を目的とする、株式会社で、本店を肩書住所地に、営業所を東京都他一箇所に、工場を尼崎市外一八箇所に有し、従業員数は約一七、〇〇〇人である。

申請人等は、いずれも会社の宮川毛織工場(以下宮川工場と略称する。)の梳毛整理湿仕上の職場に勤務する会社従業員であり、毎月二八日に別紙記載の金額の平均基準賃金を受取つていたが、同時に、会社従業員約一六、〇〇〇人で組織する申請外大日本紡績労働組合(以下労組と略称する。)の組合員で、会社宮川工場従業員約一、七〇〇人で組織する労組宮川支部に所属していた。

そして、申請人市川司郎は、昭和二三年一二月、宮川工場に入社して整理部に勤務し、昭和二九年六月整理部湿仕上甲番(以下甲番と略称する。)に配属され、昭和三二年二月二等工長に昇格したが、その間、昭和三一年四月から昭和三三年四月まで労組宮川支部の支部委員、同年同月以降同支部整理部職場委員を歴任した。

申請人世古孜は、昭和二四年六月会社宮川工場に入社し、工員として守衛部に勤務し、昭和二六年頃整理部昼専に配置換されたが、昭和二九年四月から昭和三〇年四月まで労組宮川支部委員を、昭和三一年四月から八月まで同支部支部長を、昭和三三年四月以降は同支部委員を歴任した。

申請人楠正人は、昭和二一年四月会社宮川工場に入社し、工員として染色部に勤務し、昭和二六年四月二等工長に昇格したが、昭和二七年八月一七日勤務中に高所より転落し腰部を強打し、同年一一月二〇日全治したが引続き併発した結核性肪膜炎の為、昭和二九年三月まで入院治療し、同年四月整理部勤務となり甲番に配属された。

二、解雇の意思表示

会社は、昭和三四年三月二五日、申請人等に対し、就業規則第一九条第三号の「已むを得ない業務上の都合によるとき」に該当するとして即日解雇する旨通告した。

三、解雇事由の不存在

しかし、右解雇は、先ず第一に解雇事由が不存在であるから無効である。

(一)  即ち、会社の主張する本件解雇理由の要旨は、

(1) 申請人市川司郎、同世古孜は、宮川工場整理部湿仕上甲番職場責任者玉田欽也を排斥の為、集団欠勤を主張し、甲番男子工員全員を教唆して、昭和三四年一月一〇日、申請人楠正人他四名を集団欠勤させ、

(2) 更に同一の目的で甲番女子工員を教唆して、同月一六日、甲番女子工員永井{日立}子外九名をして集団欠勤させた。

と言うにあるが、かかる事実は存在せず、すべて会社側の虚構である。もつとも、右の両日に、甲番男子工員申請人楠正人外四名が年次有給休暇をとり、又甲番女子工員中永井{日立}子外九名が生理休暇又は年次有給休暇をとつた事実はあるが、これは、当時の職場環境がそうさせた「あほらしい」と言う生産意欲の一時的減退に因る自然発生的現象なのである。

(二)  当時の職場環境

(1) 宮川工場の整理部門が本格的操業を開始した昭和二六年頃から、会社の生産増強方針は顕著となり労働強化は次第に強められたが、昭和三三年頃には、整理部湿仕上職場は、毛焼、洗絨、煮絨、脱水乾燥、縮絨のいずれの工程についても労働人員が不足で、洗絨については後記の廻し交代により一日二回が三回に作業量が増加するので労働過重を来たし、縮絨については高度の経験と熟練が要求され、之に応じ得る工員が少く必然的に過重労働を強いられていた。その為、同職場では、昭和三一年当時でも必要実働人員最少限五七名に対し、昭和三三年頃の実人員四〇名と言う有様で、労働過重は殆ど慢性化しており、労働強化に対する深刻な反感不満が、みなぎり、従業員の生産意欲は容易に阻害されて、自然発生的集団欠勤が惹起され得る状態にあつた。

(2) 更に、整理部湿仕上工場では、従来から施設必要器具等に付き従業員の不満が山積していた。就中、同職場は多量に発生する蒸気の排気、毛焼工程で生じる煙、灰等の排煙防塵、保温又は冷却等の設備を欠く為、甚だしい高温度、灰、煙、悪臭等空気の汚濁、冷え込みや高温等があり、排水不良の不完全な床で水を多量に使用する作業の為濡れることが多く女子工員に生理的悪影響があり、各種薬品使用の為人体に影響が強い等、極度に悪い職場衛生環境にあつたので、従業員の右の改善要求が強く、申請人市川司郎、同世古孜は組合役員として従来から労働強化問題と共に職制機構内で、又は苦情処理委員会に緊急問題として提出する等してその解決に努力して来たけれども、会社は何等誠意ある態度を示さなかつた。

(3) 又、同職場では、本格的操業を開始した昭和二六年頃以来、休憩時間中でも洗絨機の運転を中止せず、工員が交替でその運転に当つていた(いわゆる廻し交替)。しかし、会社は、これに付き労働基準法第三四条第二項の一斉休憩適用除外の許可を得ていなかつたので、申請人世古孜は昭和二八年頃、右許可を受ける様会社に要求し、会社はその翌年頃右許可を得たのであるが、その際会社が労働基準監督署に示した廻し交替の理由は、「宮川工場で製造するスフ混紡サージを洗絨中休憩時間で洗絨機械の運転を一時停止すると、洗絨温度が低下し、洗絨中の反物が硬化し皺を生じて不良品となる」と言うにあつた。ところが、昭和三三年五月頃から、整理部湿仕上乙番(以下乙番と略称する。)では従来の経験及び技術の向上、広巾状洗絨機械の設備により、混紡品には皺が寄らぬ等、廻し交替の必要性がなくなつたので、これを中止するに至つた。そこで甲番に於ても職場責任者永井利光に中止方を要望したところ、同人は、廻し交替の理由は、前記の労働基準監督署に示した処にはなく、生産増強にあると説明したので、甲番勤労工員は、かねがね前述の各種不満を抱いていた事も手伝つて、右食言に甚だしく憤激し、同責任者との関係は俄かに悪化する一方、廻し交替廃止の要求を強くして、職場苦情処理委員会に提議する等の行動に出ていた。そして、この問題は同年一一月、労組宮川支部労使協議会でも協議されたが、昭和三四年二月、暫定措置として工員一名が廻し交替を担当する旨の合意が労組と会社間に成立した。

(4) 又、同職場は、工場食堂、喫煙所に遠い事情から、慣行上所定の食事時間より早目に職場を離れ、或いはいわゆる一服時間(就業規則には定められず、慣行上認められた喫煙の為の休憩時間)中に、喫煙場所として指定外のグランドを使用することが認められていた。

しかるに、昭和三三年一二月従来の甲番責任者永井利光に代つて責任者となつた申請外玉田欽也は、鋭意会社の生産増強方針を押し進めようとし、俄かに従来の右慣行を無視し、女子工員等の食事、用便時間を測定、干渉し、刺戟する様な言動をする一方、前記の労働強化、廻し交替、職場環境改善等の労働者の切実な要求の解決への誠意を示さなかつた。

その為、同職場従業員特に女子工員の不満は一層激化し右玉田排斥を求める声がまき起つたので、職場の空気は次第に不明朗となり、申請人世古孜、同市川司郎は事態を憂慮し、申請人世古孜においても同市川司郎に前記諸問題解決方を要望し労組宮川支部武田支部長に通報し、両申請人に於て玉田本人に忠告し上司にも進言し、同市川司郎、同楠正人も玉田排斥を計る集団欠勤を思い止まる様坂本暢子を中心とする女子工員等を説得する等収拾に努力していたのであるが、右に述べた悪条件の集積がもたらす労働意欲の一時的減退から、最初述べた如く遂に自然発生的に女子工員等による第二次集団欠勤が生じたものである。

又、第一次集団欠勤も、右と同一の条件の下で、申請人楠正人、申請外大津晃一郎は風邪、同遠藤昌は実兄の来訪、同永富陽三は子供の病気等夫々正当な事由があつて有給休暇を取得したところ、偶々それが一致したにすぎない。従つて被申請人の主張するごとき、申請人等の教唆煽動の事実はない。本件解雇は無効である。

四、被申請人主張の本件解雇事由について、

被申請人は、本件解雇事由について、申請人等が、「皆で決めたから」と称して会社の指揮命令系統を否定無視し、自分達の意に反する工員を職場で浮き上らせる、言わゆる「ハビく」又は「干す」等の行動を取つた旨主張するが、その事実はない。元来、同一職場の従業員が、勤労の意欲及び作業能率を高め「働き易い明るい職場」を実現する目的で相互に意思の疎通を図り集団の意思と言うべきものを持ち、これを中心に共通の利害関係を紐帯に団結し職場集団を結成することは自然の現象である。そして、集団の意思は全員の自由な意思の交換を前提とする民主的多数決の方法で職場集会で形成される。従つて、「みんなが決めたから」と言う職場環境改善の為の意思の表明は、敢えて会社側の説く如く共同作業の特殊性を言うまでもなく、今日の自覚せる労働者にとつて極めて通常の現象であり、そして右の集団の意思ないしは希望に反する行動をとる者に対し、集団の批判が向けられるのは当然で、之を「ハビく」「干す」或いは「村八分」と言うのは極めて不当である。又、被申請人は、申請人市川司郎、同世古孜が組合役員として労働環境改善を目指して苦情又は意見を提出して職制と渡り合つた事実を目して、従業員を教唆煽動して職場秩序のびん乱を企図したとするが、組合活動の何たるかを解さぬ言である。又は永井干し上げ運動と会社側の主張する処も、職制機構上会社の指揮命令は職場責任者永井利光から先任工長の西村貞雄を通じて工員に伝達されるべきであるのに、会社は右西村貞雄を無視していたので、職場の指揮命令系統が混乱し工員等の作業能率を著しく阻害する事が再三ならずあつたから、すべて右西村を通じる事とし之を是正し制度本来の姿に返したまでにすぎない。この事は、同申請人等が前述の悪条件にも拘らず生産能率向上の為努力した証左でもあり、同責任者も又右措置を勧迎していた。勤務時間が一般に守られなかつたとするも、申請人等の教唆煽動とは何等関係はない。右の如く、会社側が「人民管理」を画策したと言う処は、すべて申請人等の職場に於ける組合活動の事実を抂げ或いはその言動を誇張したものにすぎない。申請人世古孜、同市川司郎は、昭和三四年一月一一日開催の職場会の席上、玉田問題は職場苦情であるから正式の苦情処理方法で解決を計るべき旨を強調し、一同の協力を要請しこそすれ、会社主張の如くその散会後集団欠勤を共謀した事実は全くないのである。

五、就業規則の解釈適用の誤並びに労働協約違反

(一)  仮りに被申請人が本件解雇事由として主張する事実があるとしても、之に被申請人主張の就業規則(労働協約)を適用できないから、本件解雇は無効である。

即ち、会社側の適用した就業規則第一九条第三号(労働協約第二二条第三号)の定める解雇基準の「已むを得ない業務上の都合によるとき。」とは、同条第一号が「精神若くは身体に障害があるか、又は老衰虚弱その他疾病のため業務に耐えないと認めたとき。」、第二号が「技倆能率が著しく不良であつて上達の見込がないと認めたとき。」、第四号が「其の他前各号に準ずる事由のあるとき。」と定めること、労働基準法第二〇条第一項の規定の仕方と対比すれば、右就業規則の前各号と同じく労働者個人の故意過失等主観的帰責性を問わない事由であつて、会社企業の運営上客観的に、即ち従業員個人の帰責性とは無関係に、障害となる重大事由があつて、しかも右事由に因る解雇が全く止むを得ないと認められるときを言うものと解すべきで、従つて会社の主張事実に就業規則(労働協約)の右条項を適用するのは誤りであるから、本件解雇は無効である。そもそも、会社主張の本件解雇事由からすると、その実質は懲戒処分であるが、懲戒解雇は普通解雇とは別個の目的を有するものであるから両者はその事由を異にし、懲戒該当事由を以て普通解雇をなし得ない。そして、会社は、かつて労働協約改訂交渉の際、懲戒解雇事由として新たに「みだりに職場を抛棄し、又は抛棄せしめたもの。」との規定を追加しようとしたが、労組側の正当な組合活動に迄拡大乱用のおそれが大きいとの理由による反対で実現しなかつた。被申請人主張の本件解雇事由には、正に右規定が適用されるべきところ、右規定新設は実現せず、そして他に右事由に適用されるべき就業規則、労働協約の解雇基準はないから、之を理由に解雇はできない。

(二)  又、会社の就業規則、労働協約には、所定の賞罰の基準の適用に当つては会社は賞罰委員会に諮つて之を行う旨の規定があり、賞罰委員会に付ては別に賞罰委員会規則の存する処であるが、本件解雇に付き会社は賞罰委員会に諮る手続を執つていない。会社は、懲戒における労働者の手続的保障を奪いながら懲戒の実を果さんとして普通解雇したもので懲戒手続を経由していないし、特に申請人世古孜については弁明の機会を与えなかつたから、本件解雇は無効である。

六、又、仮に被申請人主張のごとき本件解雇事由の事実があるとしても、甲番工員は年次有給休暇又は生理休暇取得手続をしており、会社は事前に集団欠勤を察知しながら之に対し時季変更権を行使しなかつたから年次有給休暇取得を承認したことになるし、又生理休暇も承認しているから、本件集団欠勤は右工員等の労働基準法上認められた権利の行使行為である。そして、一旦取得した休暇を如何なる目的に使用してもそれは私生活の自由である。従つて申請人等が右諸休暇取得を教唆煽動しても権利行使の教唆煽動として違法ではなく、之を理由とする解雇は無効である。

七、不当労働行為としての本件解雇

(一)  申請人市川司郎及び同世古孜の組合役員歴は前記のとおりであるが、申請人世古孜は、解雇当時迄支部委員として、前記の整理部湿仕上職場の諸要求をはじめ、年次有給休暇、生理休暇取得の容易化等職場固有の日常の問題を、職場の職制との話合により、或いは更に上位の工場側の者と自ら先頭に立つて交渉し解決する等、組合活動に指導的役割を果して来たが、申請人市川司郎も、支部委員又は職場委員として同申請人と協力又は補助して積極的に組合活動を展開して来た。その外、申請人世古孜は、宮川工場女子工員である三本木陸上選手の性別不明から会社側が退職を強要した事件について、同選手を援護して会社の意向を撤回させ、又伊勢新聞紙上に「新版女工哀史」として宮川工場の労務管理の実態が同工場女子工員是枝誠子の写真と共に掲載された事に付て、会社が退職を強要したのに対し、同女の権利擁護の為尽力した。

(二)  しかし、右の事実以外にも会社側が同申請人等を嫌悪する事由がある。労組宮川支部では、会社労務課出身の組合員桜井喜久三が支部長であつたが、同人は会社の方針に協力的で組合員の労働条件の改善に努めなかつたので、申請外服部睦美、平田幸治等は組合員の労働条件の改善、権利擁護を計ろうと企て、昭和二八年右服部睦美が支部長に当選以来、組合活動を活溌化し、従来の会社の労務管理の在り方を排除し組合との協議に依る方式の強力な推進、いわゆる「肩叩き」(病弱者低能率者等に事実上退職を勧告する方式)問題の一掃、年次有給休暇生理休暇取得の容易化等に著しい成果を挙げるに至つた。会社は、そこで同人等を著しく嫌悪し、昭和三〇年八月、古参労務担当者申請外清水義一を同工場労務長に、翌年同木谷二平を労務係に配置して、右服部睦美等を失脚させて労組宮川支部を会社の支配下に収めその運営に支配介入しようと企図した。これより先、同支部は組合員の福祉共済の為伝票による物資購入制度を設けていたが、昭和三二年右服部睦美が同支部長に立候補しようとした際、会社側は、右木谷二平を中心とする反組合的御用分子を糾合し、何等その事実はないのに、右服部睦美が先に支部長在任中あたかも右伝票物資購入制度に関し公金を費消し不正に私利を計つたかの如き流言をなして、組合内部に同人への反感を醸成し、同年度及び翌三三年度の同人の支部長当選を阻止した。更に会社は、同年副支部長であつた服部睦美の完全な失脚を計り、右伝票問題に付き労組宮川支部審査委員会を設置させ同人を不正行為に因り権利停止一〇箇月とする旨支部大会に具申させた。しかし、右服部睦美、同平田幸治等を支持する整理部組合員をはじめ申請人世古孜、同市川司郎は右服部睦美擁護の中心的役割を果たしたので、同三三年一一月二五日の支部大会で右服部に何等制裁事由がない事実が明らかとなり、会社の右企図は挫折し翌三四年同人の支部長が実現した。そして、申請人世古孜、同市川司郎はかねて会社側から右服部睦美、平田幸治等の親和分子と目されていたが、右の事情並びに前記の事情から、又、申請人市川司郎は先に会社側の労務政策の手先として活動した事があるので右政策の内容を暴露するおそれがある処から、会社側から益々嫌悪の度を強くされ、申請人世古孜は再三会社側からねらわれていたが、遂に、会社側は本件集団欠勤を利用して解雇事由を虚構し、同申請人等の右の組合活動を原因とする本件解雇をなしたものである。従つて本件解雇は不当労働行為であつて無効である。

(三)  申請人楠正人は、前記の労災事故に因り身体障害者で、会社から負担視されており、しかも近時職場での組合活動を活溌化して来た。そこで、会社は、この事と、他の申請人等の解雇事由を虚構し不当労働行為の意図を隠蔽する為にも、同人を解雇したもので、不当労働行為であるから、右解雇も無効である。

八、解雇権の乱用

仮りに前記の処が全部理由がないとしても、その勤労により日日の糧を得る労働者たる申請人等に対し、特に申請人世古孜に付ては弁明の機会を与えず、又同市川司郎に付ては解雇しない或いは復職させると言明しながら、勤労者として生存の権利を奪う解雇の極刑で臨んだことは懲戒の種類選択を誤つた解雇権の乱用であつて、無効である。

九、保全の必要性

右に述べた如く本件解雇は無効で、申請人等は依然会社従業員としての地位を保有し、未受領の本件解雇の日の翌日以降毎月二八日に別紙記載の月額の賃金を受取るべき請求権を有するところ、申請人等はその日稼ぎの労働者で、右の法的地位の確認並びに賃金請求の本案訴訟による解決をまつていたのでは、その前に生活が行き詰り償うことのできない損害を蒙ること必至であるので、本件申請に及んだものである。

第三、被申請人の答弁

一、申請人等主張の、一の事実は認める。

二、同二の事実も、これを認める。

三、同三(一)の事実中、被申請人会社が本件解雇事由の要旨として、申請人等主張のとおり主張したこと(但し詳細は後記四のとおりである。)、本件集団欠勤者の内年次有給休暇取得の手続をとつた者のあることは認めるが、その余の事実は之を争う。右集団欠勤者中には無届の者一名もあつた。

同(二)(1)の事実は、これを争う。

同(2)の事実中、整理湿仕上職場が蒸気排出量が大で、薬品を使用するとの点は認める。その余の点は否認する。その為、同職場従業員には特殊作業手当日額金一三円が支給されている。又、労働協約上、職場における苦情は先ず職制機構内で解決が計られ、処理できぬときは支部労使協議会に提出されるべきところ、申請人世古孜が昭和三三年一二月上旬川島工務係に提出した職場環境に関する要望意見の各項目に付て、会社は逐次誠意を以てその実現をはかつており、その外整理湿仕上の職場環境に付き組合から支部労使協議会に提案された事は、本件集団欠勤発生前数年間はなかつたものである。

同(3)の事実中、いわゆる廻し交替の行われていた事実は認めるが、会社は、昭和二三年八月の宮川工場操業開始以来労働基準法所定の一斉休憩適用除外の許可を受けていた。但し当初は概括的許可であつたが、昭和二九年頃当局の指導もあつて具体的個別的な除外申請に改めたものである。又、申請外永井利光が昭和三三年一一月二〇日頃申請人市川司郎より甲番男子工員は廻し交替をしない旨通告された事実は認めるが、その際右永井は、廻し交替の理由は単に生産増強にあると説明したのではなく、毛製品の性質上高温の洗剤薬品水溶液中に浸したまま長時間放置すれば、洗滌温度の低下洗剤浸透効果の不均衡等があつて品質に悪影響があり、更に運転中断の為規定の洗絨時間も延長され、生産量も低下すると説明したにすぎない。毛織物一般の整理湿仕上洗絨工程では、右に述べたごとく、グリーズ(永久の皺)を最少限に止め品質の均一化を計る為、工程中の運転停止は絶体禁物で、純毛織物の高級化同業者間の販売競走激化と共に廻し交替の必要は益々増加したのである。そして、昭和三三年一二月二八日以降宮川工場労使間で廻し交替が問題とされたが、翌年二月、労組側もその必要性を認め、工員一、二名が之を担当する旨の合意が成立している。その余の主張事実はこれを争う。

同(4)の事実中、同職場の従業員が所定の食事時間より早目に職場を離れ、又、いわゆる一服時間中グランドで喫煙していたこと、右一服時間として、午前午後各一回夫々約一〇分ないし一五分間の喫煙のための休憩時間が慣行上認められていた事実、申請外玉田欽也が申請人等主張の月の二〇日に甲番担当となつた事実は認める。しかしその余の点は、之を争う。同職場の従業員は、いわゆる一服時間に一斉に職場をはなれ三〇分ないしは一時間に亘り休憩し、或いは右の如く就業時間、喫煙場所の制限を守らない等職場規律を乱す事が多かつたが、それも申請人等の後記の如き人民管理方式の結果であつて、之に対し申請外玉田欽也は、職場規律の維持回復を計つて努力し、その結果申請人等の排斥ストを受けたものである。

四、本件解雇の事由

申請人等は、労組支部委員又は職場委員であることを奇貨とし、申請人世古孜の指導のもとに、申請人市川司郎、同楠正人は之に協力して、整理湿仕上甲番従業員を教唆煽動して、会社の指揮命令系統を否定無視し職場秩序を紊乱し、自分等の意に副つた職場秩序を確立して人民管理方式を実現しようと企図し、整理湿仕上作業が大半共同作業の特質を有する点を巧みに利用し、「皆で決めたから」と称して会社の指揮命令を否定無視し、或いは自分達の前記企図に副わない者を「あれはおかしいぞ」等と宣伝し、口をきかず共同作業を拒む等拒否的な態度を示すよう他の工員等に仕向け、仲間外れにして浮上らせ、いわゆる「干す」或いは「ハビく」等の行動を取り、職場にかくれた勢力を張る一方、之を利用して工務係の指示に反し「皆で決めたから」と称して煮絨仕込回数を減少し仕掛中の原反を停滞させ、品質にグリーズ(永久の皺)変脱色等致命的影響を与え、又、その為運搬車の停滞が生じると運搬車の増加を会社側に要求し、これが直ちに実現しないと見ると工務係に誠意がないと吊し上げる等、職場の苦情を正当な処理手続に訴えることなしに唯事々に職制に反対を唱え、又、会社側の意思に反して甲番男子工員の廻し交替を廃止させ、遂には会社側の了解なしに工長西村貞男を工務係責任者として取扱い会社の任命した責任者永井利光の指示を拒否させる等して温和勤勉且つ人望のあつた同人を「干し上げ」て排斥し、為に同人は心労から倒れ長期療養の止むをなきに至らしめ、その他前記の如く休憩食事等に付き所定の勤務時間が無視されること著しい等甲番の職場規律を甚だしく悪化するに至らしめたのである。

処が昭和三三年一二月二〇日、右永井に代つて甲番担当となつた申請外玉田欽也は、職場規律を重視する等申請人等の企図に副わなかつたが、更に廻し交替の廃止を意外に思い宮川工場小川工務長に報告したので、同工務長は、同月二二日、朝食時間約一〇分前に実状視察に甲番勤務中の整理部湿仕上工場に赴いたところ、既に男子工員は食堂に居り女子工員はその途中工務長の姿を見て逃げ帰る状況を発見し、後刻甲番従業員等を厳重説諭した。申請人等は、右の事件は右玉田欽也が工務長に告げ口した為と解して益々同人に対する反感を募らせ、同人の排斥の為甲番工員の集団欠勤を実現しようと共謀し、右の工務長視察は右玉田欽也の告げ口に因ると宣伝し、又、申請外永井利光の甲番一同宛の信書を右玉田欽也が開封掲示した事に付て、他の従業員等と共に同人を取囲み、職制の特権意識で開けたのか等と難詰して、同人に対する反感を醸成する様努力した上、翌三四年一月六、七日頃、申請人世古孜、同市川司郎は、甲番男子工員に女子工員と協力して玉田排斥運動展開を提案し、協議の結果、申請人市川司郎、同楠正人は女子工員に右運動への協力を求め、同月八日、申請人世古孜が中心となり甲番男子工員に右玉田欽也と口をきかない様仕向け、翌九日、申請人等は申請外西村貞男、小島実雄を除く男子工員等と前記共謀に従い翌一〇日に玉田排斥の為集団欠勤しようと打合せ、因て同日甲番男子工員八名中五名が有給休暇申請手続をとり欠勤した(第一次集団欠勤)。しかし、所期の効果はなかつたので、翌一一日申請人世古孜の提唱により、玉田追放の趣旨徹底を計る為整理部湿仕上甲乙両番の職場有志会(故意に工務係を除いたから、職場会とはならない。)を開催し、申請人世古孜は働き易い明るい職場実現には玉田追放が必要であり最早話合による解決の余地はない旨説明し、散会後申請人等及び甲番男子工員は、更に一層の効果を挙げる為女子工員に集団欠勤を実現させる様教唆強要する事を共謀し、翌一二日申請人世古孜は同市川司郎に、一六日女子工員集団欠勤の実施方を指示し、同申請人は申請外坂本暢子をして他の甲番女子工員に右指令を伝達させて之を教唆強要した。同月一四日に至つて、同申請人は申請人楠正人或いは申請外遠藤昌から、右集団欠勤に女子工員全員が参加ししかもその全部が生理休暇取得手続をとろうとしている旨知らせを受け、その上は発覚のおそれ多大と考えて甲番男子工員と相談の上、申請人楠正人と共に急遽一部女子工員に欠勤は任意とする旨連絡したが、前記共謀を知らされなかつた申請外池頭きみ子を除く他の甲番全女子工員一〇名は、申請人等の後日の報復をおそれて、一六日夫々生理、有給休暇申請手続をとり或いは無断で欠勤するに至つた(第二次集団欠勤)。その為、整理部湿仕上の操業は午前五時から九時までの間完全に停止するに至つたものである。

五、就業規則並びに労働協約の適用

右の集団欠勤は、申請外玉田欽也追放の要求貫徹の手段として会社に打撃を加える事を目的とし休暇を擬装する争議行為であるが、争議行為である以上、交渉目的を明らかにしかつ交渉相手を明確にして交渉妥結による紛争解決が団結の如何なる範囲に及ぶか明らかにしなければ、会社は交渉の対象相手が不明で不測の損害を蒙るおそれがあるから、右に反する本件争議行為は不当違法である。又、単一組織である労組は内部組織上職場組織には争議権を認めず、会社と労組間に昭和三二年一二月一日締結された労働協約第七〇条第七一条は団体交渉権を労使協議会に認めて職場組織に認めず、且つ同第七八条七九条は労使協議会の交渉を経て労働委員会の斡旋調停案提示後始めて争議行為を為し得る旨定めるのに、之等に反して労組の意思とは全く無関係になされた山猫ストである点からも、違法である。しかし、その参加者中女子工員は、右を意欲すると言う主観的相互理解がなく、又同人等と共に男子工員等も又申請人のかくれた勢力に抗してその指令を拒否する事の期待可能性はない。これに対し申請人等は、玉田に対する個人的憎悪感と職制麻痺の違法な目的を以て、極秘裡に集団欠勤を計画し、虚偽の理由で欠勤し又は之を教唆煽動ないしは強要し或いは強要しようとしたもので、その企図、指導並びに卒先して計画の趣旨徹底推進連絡等に当り主謀した行為とその責任は重大である。

そこで会社は、昭和三二年一二月制定の就業規則第一九条第三号所定の普通解雇基準に該当するものとして、申請人等を解雇したものである。

申請人等主張の五(一)の事実中、その主張のとおり右就業規則第一九条が定められていること、労働協約に懲戒事由を追加しようとして実現しなかつた事実は認めるが、その余の点は之を争う。同条第三号の「已むをえない業務上の都合によるとき」とは、労働者に雇傭契約上の重大な義務違反があつて、社会通念上職場規律維持の為解雇が相当とされている事情にあるときをも含み、必ずしも労働者への帰責性のない場合のみを言うものではない。

又、申請人等は、前記労働協約第三八条第一項第一五号に定める懲戒解雇基準「その他前各号に準ずる程度の背信行為のあつたもの」にも該当するところ、右と普通解雇基準は相互にその適用を排除するものではなく、両者に該当するときはいずれに依るかは解雇自由の原則から会社の自由裁量に属し、懲戒処分の教育的制裁的機能実現を放棄して単に当該従業員の企業外への排除のみで満足するときは、会社は本人の将来の為普通解雇することも許される。本件解雇も右の考慮から懲戒処分としなかつたものであるから、就業規則労働協約の解釈適用の誤はない。

又、会社が申請人等主張のとおりの懲戒解雇事由を労働協約に追加しようとして実現しなかつたのは、右解雇事由は山猫スト規制を目的とするものであるところ、労組は山猫ストの違法性は認めるが、今日右の非常識な事態の発生は到底考えられず、実際上も企業から排除すれば会社の目的は達せられるから強いて規定の要はないと反対し、会社も労組が山猫スト参加者排除の妥当性を認めたので敢えて右提案を固執しなかつたのである。

同(二)の事実中、就業規則、労働協約に申請人等主張のとおりの規定があり、之に従つて手続しなかつたこと、申請人世古孜に弁明の機会を与えなかつたことは認めるが、その余は之を争う。しかし右の事実は本件解雇の適法性を何等左右しない。

六、同六の事実中、甲番工員中年次有給休暇及び生理休暇取得手続をした者のある事は認めるが、その余の点はこれを争う。右の事実があつても、作業体制を前提とし労働力の維持培養を目的とする有給休暇制度本来の枠外に出た争議行為であるから、会社は問責し得るものである。

七、同七(一)(二)の事実中、申請人市川司郎、同世古孜の組合活動は不知、之と本件解雇の因果関係は争う。

同(三)の事実は全部争う。申請人楠正人は昭和二七年一一月二〇日全治して後遺症はない。

八、同八の事実中、申請人世古孜に弁明の機会を与えなかつたことは認めるが、その余の点はこれを争う。同申請人の人柄から見て弁明の機会を与える意味がない。

九、同九の事実は、全部これを争う。申請人等は労組から退職時の賃金相当の金員の支払を毎月受けているから、満足的仮処分の必要性は全くない。

第四、疎明関係〈省略〉

理由

一、当事者関係及び解雇の事実

被申請人会社が申請人等主張のとおりの会社であること、申請人等が、その主張のとおり被申請人会社に雇傭されて賃金の支給を受けており、その主張のとおりの労働組合の組合員であつて、かつ職歴と労組役員歴を有すること、被申請人会社が、申請人等をその主張のとおりに就業規則該当として解雇する旨通告した事実は当事者間に争がない。

二、解雇事由の存否

昭和三四年一月一〇日に宮川工場整理部湿仕上甲番男子工員八名中五名が年次有給休暇の申請をして欠勤し、同月一六日甲番女子工員一一名中一〇名が年次有給休暇又は生理休暇の申請をして(但し一名のみは右申請をしたか否か争がある。)欠勤したことは当事者間に争がない。

そこで右二次の集団欠勤が工員等の勤労意欲の一時的減退による自然発生的な現象なのか申請人等の教唆煽動強要によるものかその原因について判断する。

申請人世古孜の供述、同供述及び申請人市川司郎の供述により成立の真正が認められる甲第四二号証、第五五号証によると、労組宮川支部労働対策部が昭和二九年度末現在で不完全ながらも調査したところによると、最高生産時を基準として算定して整理部は約二四名不足するが、応援者二〇数名があるので現状では若干人員不足の模様があつても甚だしい労働強化とはならず、そしてその後に於て右の事情がそれ程変化したとは考えられないことが認められ、右疎明を覆すに足りる疎明はない。又、証人遠藤昌、大津晃一郎、池頭きみ子(二回)、西村貞男、永井利光(二回)の各証言、弁論の全趣旨により成立の真正が認められる甲第一〇号証、第三二号証、申請人世古孜の供述により成立の真正が認められる甲第二三号証、第三三ないし三六号証、第三八号証、第四〇、四一号証、同供述及び申請人市川司郎の供述により成立の真正が認められる甲第五五号証によると、整理部湿仕上職場は、蒸気が立ちこめ、水を使用する作業の性質上及び床に凹凸がある為作業員が濡れる事が多く女子工員に生理的悪影響があり、薬品使用の為異常体質の作業員の手指に病変が現われたりした事があり、煮絨、洗絨作業は冬期は寒気厳しい中で、夏期は蒸気の為酷暑の中で行われなければならぬ事が再三で、毛焼作業では室内に悪臭がたちこめ灰塵が舞い夏期は酷暑となるがその防止の為の排気排煙施設が不充分で作業員は作業衣上に布を羽織りガーゼマスクに更に手拭で口を蓋つて作業する有様であつた外、労働環境の不良の点が多々あつた事等が疎明され、右疎明を覆すに足りる疎明資料はない。又、証人玉田欽也の証言(第一、二回)、同証言により成立の真正が認められる乙第三号証の一、二、第一四号証の一、二によると、申請外永井利光に代つて甲番責任者となつた玉田欽也は、就業時間等職場規律の維持に留意し休憩時間を計測し、或いは小川工務長が昭和三三年一二月二二日朝整理部湿仕上職場を視察した際女子工員等に「飯は逃げない」(食堂へ急ぐ女子工員等にその必要のないことを寓した言葉)等と言つた事は明らかであるが、しかし、休憩時間が慣行上認められた範囲より長かつた点も明らかである。更に同人が同職場に配属前同職場の規律につき「自分が行けば甲番をよくしてやる」と公言したことを疎明するに足る疎明資料は本件審理には現われない。次に、毛紡織布一般につき品質上の理由から洗絨作業を中断しないいわゆる廻し交替の必要あることは、検乙第二号証の二ないし五の検証の結果、証人吉田慶蔵の証言、同証言により成立の真正が認められる乙第三〇号証、第三一号証の一、二により明らかで、右疎明に反し之に優越する疎明資料は見当らないし、証人永井利光の証言(第一回)により成立の真正が認められる乙第六号証の一、二、によると甲番責任者永井利光は廻し交替の必要性に付き甲番従業員に品質維持にあり、しかも之と生産量の確保とは相伴うものでなければならない旨告げた事が疎明され、右疎明に反する疎明資料はいずれも措信することができない。

そこで右の諸事実を綜合して考えて見るに、証人永井利光の(第二回)証言によると、甲番責任者永井利光も労働環境に付き改善の努力をしていた事は明らかであるし、申請人世古孜、同市川司郎の供述により成立の真正が認められる甲第五五ないし五八号証及び弁論の全趣旨によると、申請人世古孜、同市川司郎の活溌な職制との交渉によつて事態は改善の方向に進んでおり、昭和三三年当時申請外服部睦美が労組副支部長の要職にあるのに、右の問題が更に上級の苦情処理方法に訴えられたのは本件集団欠勤後であることが明らかで、右疎明を覆すに足る疎明資料はないこと、これに引換え、証人平田幸治の証言によると、前記認定の職場環境は乙番に於ても同様であることが明らかであり、廻し交替は直接には男子工員のみに関すること等を考え併せると、申請外玉田欽也の言動があるにしても、なお、乙番に比して甲番のみに集団欠勤をもたらす様な勤労意欲の自然的減退の決定的原因となる特段の事情があつたものとは到底考えられない。

三、証人玉田欽也(第一、二回)、池頭きみ子(第一、二回)、永井利光(第一、二回)、奥山サチ子、坂本広、西村貞男、野呂京子、村沢睦子、瀬渡克代、坂本暢子、遠藤昌、大津晃一郎、の各証言、成立に争のない乙第一号証の一、二、第二五号証の一ないし七、第二六号証の一ないし三、第二七号証の一ないし七、第三七号証、第四七号証、証人木谷二平の証言により成立の真正が認められる乙第二号証の一、二(その末尾の拇印が申請人市川司郎のものであることは当事者間に争がない。)、第二一号証の一、二、第二八号証の二、第二九号証の一ないし三、第三六号証、証人玉田欽也の第一、二回証言により成立の真正が認められる乙第三号証の一、二、第一四号証の一、二、証人永井利光の第一回証言により成立の真正が認められる乙第五号証の一、二、第六号証の一、二、第一八、一九号証の各一、二(郵便官署作成部分の成立は当事者間に争がない。)、証人西村貞男の証言により成立の真正が認められる乙第二〇号証、第二九号証の一ないし三、証人坂本広の証言により成立の真正が認められる乙第二八号証の一、二、証人村沢睦子、瀬渡克代、坂本暢子の各証言により成立の真正が認められる乙第九号証の一ないし四、証人野呂京子、池頭きみ子(第一回)の各証言により成立の真正が認められる乙第一七号証の一ない二、証人奥山サチ子、清水義一の各証言により成立の真正が認められる乙第二二号証の一、二、証人清水義一の証言により成立の真正が認められる乙第八号証を綜合すると、次のとおりの各事実が疎明される。

申請人世古孜、市川司郎は、当事者間に争のない労組役員歴を有し、彼等なりの考えで、同じ職場の従業員と話合でいわゆる明るい働き易い職場を実現しようと企図し、前示認定のとおり職場苦情処理に活溌な活動をしていた。又、整理部湿仕上職場は、前示認定のとおり、人的物的設備に付き従業員の必ずしも満足できない点があつた。それで自然、同職場では苦情処理に活溌な活動をする同申請人等を中心として集まり、その指導のもとに話合の上で何事も決する様になつたのであるが、会社に対して過度の反感を抱く同申請人等は、作業の段取、人員の割当等会社の労働指揮権に属する事柄でも右の話合の対象にして、之等の点で工務係責任者等職制と意見の衝突を来たす事が多かつた。そして右の話合に背く従業員に対しては、他の従業員がその故に反感を抱くのは当然であるが、同申請人等は更に、共同作業の拒否を他の従業員に指導実行させ或いは吊し上げる等して圧迫を加えていた。前示廻し交替は、労組の上部組合である申請外全国繊維産業労働組合同盟が廃止に努力中の異常操業には属さないものであるが、申請人世古孜は、申請外平田幸治等と協力の上、先ず乙番で廻し交替の廃止を工務係に事実上承認させて実現し、更に甲番でも申請人市川司郎と協力して、男子工員にその廃止方を説く一方、責任者永井利光に同様の要求をした。そして、かねがね会社に反感を抱いていた申請人楠正人は、同申請人等に積極的に協力するに至つた。しかし、右責任者は右要求をたやすく容れなかつたので、申請人等が主となり、同職場の指揮命令系統が重復し混乱し易くなつている事と人員配置に無理があつたのでその是正にかこつけ、同責任者の指示は先任工長西村貞男を通じて受ける様提案して甲番男子工員等でその旨決め、右決定を利用して殊更同責任者の指示に従わず又は他の工員に従わない様に指導したが、右先任工長西村貞男は温和で殆ど申請人等の意に反し得ない有様で、従つて昭和三三年一一月二〇日頃以降甲番で廻し交替の担当者は同責任者以外なくなつた。

その後同責任者永井利光は心労の為発病して休職するに至り、代つて同年一二月二〇日申請外玉田欽也が責任者となつたが、同人は、職場委員の申請人市川司郎等から、従業員一同の協議で廻し交替を廃止した旨告げられ、工員等も右廃止は工務長と申請人世古孜との話合に因ると考えている様子でもあり、事実之が行われないので、不審に思つて小川工務長に確かめた。そこで同工務長は、同月二二日食事時間約一〇分前の午前七時五分頃甲番就業中の職場に赴いたところ、既に男子工員は食堂に居り、女子工員は途中同工務長の姿を見て逃げ帰る有様を発見したので、就業時間の定めを守る様厳重説諭した。そしてその後、廻し交替につき同工務長と申請人世古孜との間に交渉が重ねられ、労使間に小委員会が開かれるに至つたが、結局翌年一月五、六日は実施する事となり、申請人等の企図に反する結果を生じた。

右玉田欽也が、就業時間等職場規律の維持に留意し休憩時間を計測した等の事実は前示認定のとおりであるが、申請人等は、右のところと前段認定の如き結果が右玉田の為に招来されたと考えて、この様な同人の存在は申請人等の前示の様ないわゆる明るく働き易い職場実現の企図に支障となると解し、反感を強めた。そして、右の工務長の巡回を、玉田は直近上司をさておいて直接工務長に何事でも報告する為であり、又、甲番配属前から自分が行けば甲番をよくしてやる旨公言したと工員等に宣伝したが、一方、右同日以後工場長工務長の巡回が増加し、右玉田欽也も就業時間を監視する等した為、工員等も同人に対する反感を抱くに至つた。そして、昭和三四年一月五日、永井利光の甲番一同宛書簡を右玉田が開封掲示しようとした事があり、申請人等、申請外遠藤昌、中川幸三郎がこれを取囲んで職制の特権意識で開封したのか等と詰問した事もあつた。この様な状況から、申請人世古孜は、遂に右玉田欽也を同職場から追放しようと決意し、翌六日頃申請人市川と右の為には甲番男女工員の協力が必要だと相談した。そこで同申請人等はその頃、先ず甲番男子工員等に女子工員の協力をも得た上で右玉田欽也追放を図ることを提議してその賛成を得、右謀議に従つて申請人市川司郎、同楠正人は女子工員等に協力を要請した。同月九日、申請人世古孜、同市川司郎は、相談の上で甲番男子工員等に前記目的実現の為欠勤する事をはかり、申請外遠藤昌、永富陽三は所用もあつたことから、右工員等の賛成を得たので、この謀議に従つて翌一〇日、申請人楠正人、申請外遠藤昌、大津晃一郎、永富陽三、坂本広は夫々適当な理由を付した年次有給休暇取得申請書を提出して欠勤した(第一次集団欠勤)。翌一一日、甲乙両番工員による職場有志会が労働会館で開催された席上、申請人世古孜の司会で申請人市川司郎は申請外玉田欽也に対する苦情並びにその排斥運動への協力を訴えたが、散会後小会議室に集つた申請人等及び甲番男子工員間で、なお一層の効果を挙げるため女子工員等に集団欠勤を実行させる事に付き協議がなされ、結論を得ぬまま散会した。翌一二日、申請人世古孜は申請人市川司郎に、一六日女子工員に集団欠勤させる事を指示しかつその旨連絡方を依頼し、動員人数について両名の間に若干意見の相違があつたが申請人市川司郎は結局全員欠勤に同意し、女子工員中第二の年長者で比較的人望のある申請外坂本暢子に連絡方を依頼した。この様にして申請人等から集団欠勤の指示を受けた甲番女子工員中池頭きみ子を除く一〇名は、先に協力を求められていた事から、申請人等を含む甲番男子工員等の協議に基く指示と解し、之に反するときは反感を買い申請人等の圧迫を受けると考えて、夫々適宜の事由を付して一六日に集団欠勤するに至つた(第二次集団欠勤)。申請人市川司郎は、一四日に至り女子工員中一〇名が右集団欠勤に参加する気配を知つて発覚をおそれ、申請人楠正人はじめ男子工員と相談の上、右両申請人において参加者を減少させる為急遽女子工員の一部に右欠勤は任意とする旨指示したけれども、「出てよいものか休むのか」はつきりしろと口論となり、結論の出ぬまま前示のとおりの事情からその目的を達せず、一〇名が参加するに至つたものである。

以上のとおりの各事実が疎明され、他に右疎明を否定するに足るだけの有力な疎明資料は見当らない。後記のとおり会社側が就中申請人世古孜を嫌悪した事実は窺えないではないが、右認定に用いた乙第一号証の一、二、第二号証の一、二、をはじめ第九号証の一ないし四、第一七号証の一ないし三、第二八号証の二、三、第二九号証の一ないし三中右認定に用いた部分が会社側の為にする虚構とは到底解し難く、又、甲第五二号証、第六〇号証も右疎明を覆すに足りない。

四、成立に争のない甲第一号証、第二号証の一、乙第三二号証によると、昭和三一年二月より施行された会社の就業規則第一九条第一項、昭和三二年一二月一日に会社と労組間で締結の労働協約第二二条の各第三号は、普通解雇基準として、「已むを得ない業務上の都合によるとき」を挙げるが、右の解釈としては、申請人等代理人主張のように、同条第一、二号、右労働協約第二四、二五条、同就業規則第一九条第二項に挙げるが如き会社側経営者側に基因する解雇の必要性のみに限定するべきではなく、労働者側に基因する場合をも含んで解釈するべきで、労働者が職場規律を乱し作業能率を低下させ業務の運営に支障を来たす行為をなしたとき、会社が職場規律を維持し業務の運営を計る目的で、当該労働者を解雇することが已むを得ず、又これが他の解雇事由との対比からも、又、社会通念からしても著しく不当ではない場合をも言うと解釈するを相当とする。

蓋し、労働協約は労使間の自主的法規として労使が団体交渉を通じてその妥協的所産として設定されるもので、その内容は労使の力関係を背景としつつ、団体交渉を通じていわば取引されて妥協点に到達したものであるから、その解釈にあたつては、その条項の成立経緯、協約当事者の意思を無視することはできない。本件において、就業規則一九条所定の解雇基準は労働協約二二条に則り規定され、労働協約と同文のものであるが、右基準は昭和三二年一二月締結の現行労働協約に始めて創設せられたものではなく、昭和二四年締結の労働協約以来同文のものが引続き協定されていること、右解雇基準のうち第三号「已むをえない業務上の都合によるとき」は、労働者側に帰責事由がある場合をも包括する趣旨に解することは、予てから会社が労働協約改訂時に言明しているところであつて、昭和二九年の労働協約改訂交渉時に会社は懲戒解雇基準に山猫争議行為を懲戒解雇とする趣旨で、「みだりに職場を放棄する等、業務の正常な運営を阻害し又は他人をして前段の行為をなさしめた者」なる基準を加えることを提案した処、組合より山猫争議行為は組合としても統制上の問題として見逃し得ぬところであり、組合活動の成長した今日の段階においては一般組合員の意識水準が向上し山猫ストの如き行為を行う虞は少く、且つ実際問題として懲戒解雇基準として第一五号の準用規定はそのまま存続するのであるし、或は又従来からの協約第二二条第三、第四号の趣旨及び今回の協約交渉の経緯から、当然企業外に排除できるのであり、懲戒基準に強いて挿入する理由は見出せないと拒絶された結果、会社もその排除の妥当性を認める以上敢えて懲戒解雇基準とする必要はないとして右提案を撤回したことが弁論の全趣旨並にこれにより成立を認める乙第四八号証の一、二、及び成立に争ない乙第五四号証に照して明かで、右条項に関する前叙説示の解釈は正に右認定の成立経緯協約当事者の意思に合致するものというべきである。

成程、右就業規則及び労働協約が懲戒解雇事由を別個独立に規定するのは右疎明資料より明らかで、申請人等の前示所為は一応は右労働協約第三八条第一項第三号第六号に準じる第一五号に該当するものと解せられる余地があり、又、成立に争のない甲第二号証の二によると右就業規則労働協約に基き懲戒手続が定められている事も明らかであるけれども、右は、使用者が解雇につき懲戒処分としての事実上の目的ないしは効果の実現を企図する場合に適用或いは遵守すべきものとされるにすぎず、普通解雇基準と懲戒解雇基準との競合適用を認めて、右企図の実現を求めるか或いは労働者の社会的名誉退職金の支給その他の利益を考慮して普通解雇するかは、使用者が懲戒手続で確保される労働者の地位の保障の潜脱を計る等特段の事情のない限り使用者の自由に任せるとしても支障はないと解せられるから、申請人等代理人の両解雇基準間に重複を認めるべきでないとの主張は理由がない。そして、証人中村耕造の証言によると、本件解雇について会社は申請人等の将来も考慮したことが疎明されるし、又、証人佐藤捨已は第二回証言において、本件解雇につき開催された労使協議会の席上、労組側は賞罰委員会に代るものとして会社側との合同調査を提案したが、会社側は拒否した旨供述するけれども、弁論の全趣旨から成立の真正が認められる甲第一六号証の一、二によると、会社側が細部の調査資料を交付した後、労組側に調査結果の交付を要求したところ、労組側は之を為し得るのに為さず合同調査の先行を主張したので、会社側も双方の調査結果を提示して彼此検討の上ならば或いは合同調査もあり得ないことではないとして結局物別れに終つた事情が疎明されるので、会社側が本件解雇権の行使に付き故なくして労組の関与を排除し懲戒手続で確保される労働者の地位の保障の潜脱を計つたものとは言えず、しかも労働協約三九条に基く賞罰委員会規則第一〇条には「社長は中央賞罰委員会の意見を基礎として賞罰を決定する」とあるから、右賞罰委員会の性格は結局諮問機関の域を出ないものというべくそのことを併せ考えると本件においては前述の如き特段の事情は存しないというも差支ない。

前示認定のとおり、二回の集団欠勤共謀に於て、申請人市川司郎、世古孜が企画指導煽動等して主謀主導し、同楠正人がこれに参加して両申請人を補助する等の役割を果したことは明らかであり、少くとも申請人市川司郎、同世古孜の右各所為は重大な職場規律違反と言うべく、そして、証人玉田欽也の証言(第一回)によつて成立の真正が認められる乙第三号証の一、二によると、第一次集団欠勤の際は他より男子工員一名の応援を得て甲番の作業は辛うじて運営されたが、第二次集団欠勤の際は会社側の努力にも拘らず約三時間半作業停止を余儀なくされ業務の運営に重大な支障を来たした事実が疎明され、右疎明に反する疎明資料はない。そうすると、前述の労働協約、就業規則の解釈からして、申請人楠正人はしばらく措き申請人市川司郎、同世古孜等を右解雇基準に照して普通解雇できるものと言わねばならない。

しかし、申請人楠正人は、他の申請人等に追随したにすぎず情の軽いものがあり、治癒したとは言え業務上の傷害により今日なお身体の機能等完全に旧に復しておらず同情すべき点があること、他の甲番男子工員には何等の処置もとられていないことと対比すれば、同申請人の解雇は、真に已むを得ないものとはにわかに断じ難く、又、他の解雇事由との対比からも又社会通念からもたやすく不当でないとは言えないと解される。そうすると、同申請人に対し右就業規則の条項を適用することはできず、右の解雇は無効と言わねばならない。

五、申請人等代理人は、本件集団欠勤者はいずれも年次有給休暇並びに生理休暇の手続を経由し、会社もこれを承認した適法な権利行使であるから、その教唆煽動は違法でなく之を解雇事由とすることはできない旨主張する。しかし、年次有給休暇は、労働者に精神的肉体的休養をとらせ、加うるにその文化的資質の向上を図るものであるから、前示認定のとおり、その本質を著しく逸脱して職制を困却させ職場から排斥する為共謀して一斉に取得するが如きは、右休暇制度の本旨に反し、右制度は前叙説示の行為まで保護しているものとは考えられない。少くとも、証人玉田欽也(第一回)、日比野茂の供述によると、第二次集団欠勤に際し会社側は申請外永井{日立}子、奥山サチ子、鈴木恒子、坂本暢子等に時季変更を求めたが前示認定の事由から拒絶されたことが明らかで、右疎明を覆すに足りる疎明資料はないところ、右の時季変更権行使は正当の事由に基き、会社は右休暇請求に応じる義務はないから、右欠勤を以て権利行使とは言えない。従つて、申請人等代理人の右の主張は理由がない。

六、不当労働行為の成否

申請人市川司郎、世古孜が、その主張のとおりの組合役員歴を有することは当事者間に争がない。そして、証人服部睦美(第一、二、三回)、平田幸治、佐藤捨已(第一、二回)、申請人市川司郎、世古孜の各供述、同供述により成立の真正が認められる甲第一九号証、第二〇号証、第二一号証の一ないし四、第二二号証、第五五号証によると、労組宮川支部には申請外服部睦美を中心とする比較的組合活動を活溌にする比較的反会社的色彩の濃厚な一派があり、年次有給休暇生理休暇取得の容易化、退職強要の防止等に努力を重ねて来たが、申請人世古孜も同派に属していたこと、会社側は右勢力の拡大伸長を止めるため会社に親近感を有する勢力の育成を計るべく種々の働きかけがなされ、申請人市川司郎も当初は右の働きかけに応じて行動したが、後に前者に属するに至つたことが疎明されるところ、右各証拠並びに申請人世古孜の供述により成立の真正が認められる甲第四五ないし四七号証、第五六号証、当事者間に成立に争のない甲第四八ないし五〇号証によると、申請人世古孜は、前示認定のとおり職場の苦情処理等に活躍するほか、宮川工場工員三本木登志子の性転換に伴う退職強要及び同工場工員是枝誠子の伊勢新聞の記事に関する退職強要に対して、同女等を擁護して活動した為に、会社側から嫌悪されていた事実が疎明され、右疎明を覆すに足りる疎明資料はない。しかし、申請人市川司郎、に付ては、その組合活動ないしは組合内部の服部派に属する事の故に会社側から嫌悪されたとの疎明はない。

一体労働組合法七条一号は組合活動をした者をその他の者から区別してその取扱を異にし、特別な地位の保護を与える法意ではないから、いやしくも就業規則の懲戒解雇事由に該当する限り、その被解雇者が組合活動を活溌に行つた事実があつても、特段の事情のない限り、使用者の不当労働行為意思を推認することはできない。のみならず、本件においては証人中村耕造の証言、成立に争のない甲第四四号証、第四五号証の一ないし三、右証人の証言により成立の真正が認められる乙第四六号証の一ないし三、弁論の全趣旨から成立の真正が認められる甲第一六号証の一、二によると、会社は、他の両申請人と同様申請人世古孜に対しても、前示認定のとおりの就業規則該当の事実について已むを得ず解雇したもので、右の会社側の嫌悪はその決定的な原因とはならなかつた事実が疎明され、そして右疎明に優越するだけの反対疎明は見当らない。従つて会社側の不当労働行為とする申請人等代理人の主張は理由がない。

七、解雇権乱用の主張について

会社が本件解雇に付き申請人世古孜に弁明の機会を与えなかつた事は当事者間に争がないところ、右の事実は決して好ましいものと言うことは出来ないが、本件就業規則又は労働協約或いはその附属規程の規定からして、右の事実を違法として解雇を無効とする趣旨は看取されない。又、申請人等代理人は、会社は申請人市川司郎に解雇しない又は復職させる旨言明したと主張し、申請人市川司郎の供述及び同供述により成立の真正が認められる甲第五八号証には右主張に副うものがあるが、これ等はいずれもたやすく措信できず、他に右主張を疎明するに足るだけの疎明資料はない。右の処を、前示のとおりの申請人等の行為の性質態様会社の業務運営に与えた影響等と考え併せてみると、本件解雇を以つて衡平を失した労働者にとり不当苛酷なものと言うことは出来ず、これを解雇権の乱用と解することはできない。

八、前述のとおり、申請人楠正人の本件解雇は無効であるから、依然会社従業員としての地位を有し、未受領の昭和三四年三月二六日以降毎月二八日に金一五、五二〇円の月額の賃金の支払を受くべき請求権を有することが疎明されたものと言わねばならない。そして同申請人並びに証人佐藤捨己の第二回供述によると、同申請人は、その日稼ぎの労働者で、資産も他に扶養してくれる者もなく、そして労組から毎月右金額の金員を借受けていることが明らかで、右の賃金請求の本案訴訟による解決をまつていたのではその前に生活が行き詰り償うことのできない損害を蒙ること必至であると言わねばならない。

そうすると、申請人楠正人の本件申請は正当として認容すべきであり、そして前記のところからすると、同申請人に対し保証を供させることは不相当と解される。

しかし、その余の申請人等の本件解雇は適法有効で、これを無効とする同申請人等の主張はいずれも採用し難いので、同申請人等の本件仮処分申請は、被保全権利を欠き失当であるから、いずれもこれを却下すべきものとする。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法第八九条第九二条第九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎福二 荻田健治郎 野田殷稔)

(別紙省略)

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